ESSAY

今こそ、自分史上最高を更新し続ける楽しみを

鏡に映る女性

毎日の比較対象は、自分。
昨日の自分より、ちょっと素敵になる。

人と会う機会が少ないからこそ、
一番付き合っていくべきは自分だということを、気づいたからこそ、
その判断基準を、今は自分に起き直す良いチャンスだと思っている。

2020年を境に、なんとなく時代の空気感が変わる中で、雑誌やメディアで「自分」「らしさ」というワードが非常に増えた印象を持っている。

誰かの基準重視から、自分の基準第一へ

これまでは、これまでの代表的なワード「モテ」「愛され」を筆頭に、どこか他人基準がすごく強い基準だった期間がとても長かったように思う。
同じようなワードでいくと「差をつける」といった“周りより抜きん出る”ニュアンスや、「〜見え」(高見えなど)「〜され」(愛され、褒められ)といった、他人視点の形容詞っぽいものが多かった。

それでも、ちゃんと、時流が変わっていることを感じている今日。

2020年を境に、自分はどう考えるか、私らしくいるためにはどうしているのか、ということが見直されていた。
私はどう思うのか、私はどう生きていきたいのか。そんな価値観の軸が、全体的にちゃんとここに宿り直しているという感覚。全体のコミュニケーションが一旦分断されたからこそ、もう一度主導権がここに回帰していく感覚。そんな気持ちになっている。

モデルやインフルエンサーを目指す必要はないということ

モデルや女優やインフルエンサー、キラキラと輝く人に目が眩む時だってもちろんあるし、羨ましくも思うけど、それはきっと役割が違うだけ。
彼女たちのように常に時代の最先端のきらめきを更新しなければいけない、なんてことはないはず。

これまではそんな人たちを目指して、似せていったりするのが正とされていた感覚もあるけれど、いつの間にか、そんな人たちを”参考に”、自分をどうやったら素敵にできるか、という視点を変えた方が良さそう、という感覚がある。

華やかでキラキラしているように見える人だって、比べたら地味に見える自分の人生だって、どっちだって驚くほど素敵だし、尊い。自分の人生ファーストで、あくまで誰のスタイルだって参考書。
バイブルは、やっぱり自分の中にしかないものなのだ。

「自分史上最高」は、ちゃあんと考えないと築けない

だから、目指す基準はやっぱり自分。
仰々しいことなんていらないから、どんな小さな点でも、ちょっとずつ素敵にしていく地道な活動こそが、きっとこれからの生きるエネルギーとキラキラの源泉になっていくものだと思う。

昨日より、ちょっと素肌が綺麗になった。(スキンケア頑張った!)
昨日より、ちょっとアイメイクのバリエーションが増えた。(こんな私も、ちょっといいかも!)
昨日より、なんだか髪がつやつやしている。(丁寧なケアが応えてくれた)

幸せは、何かを実現するよりも、そんな日の積み重ねがモノを言うのかも、と、日々確信を強めている。

誰かの理想に振り回されず、
自分史上最高を、アップデートする自分だけの秘訣を見つけていきましょう。