ESSAY

ESSAY | プチプラコスメを買ったときに、失うもの。

まず最初に前提として言っておく。わたしはプチプラコスメも大好きだ。

30歳を過ぎるまで、私の日常を支えてくれたのは間違いなくドラッグストアの、コスパ最強で、軽やかな心のときめきをプレゼントしてくれる、そんな1000円前後で買えるプチプラコスメだった。(ちなみに”プチプラコスメ”とは、基準は「自分にとって」と考えるのがいい気がしている。自分にとって、金額を気にせず買える範囲を、このストーリーでは”プチプラコスメ”と定義しよう。)

かねてから、ラグジュアリーなデパコスに憧れていたけども、ずいぶん先までどうしても手が出せなかった。自分なんてそんな使う価値ないし!と自己肯定感低めがベースになったことも一因しているけれど、なんとなく思っていたことは「一度手を出したら終わり」感。高級コスメのループに入ったらランクも落とせないし、抜け出させなそう。だから正直なところ、敬遠していた。

でも、ひとつ確信を持てたことがある。実はプチプラコスメでも失っているものがある。
「コスメを使うときの高揚感」だ。

もちろん、プチプラコスメだって高揚感はある。これを使うことでちょっと自分がすてきに変われる気がする。小さな変化で、そしてお財布にも優しく手軽に自分を切り替えられる。特に、手に入れる前から使う瞬間までの効果が鮮烈だ。その期待感に、目一杯日々を救われている女子がたくさんいる(私もそう)。だからコスメ売り場のあるドラッグストアはどこでも街の人気者なのかな、なんて。

実際に、デパコスは、高い。普通に買っていれば5000円、万単位位のものもザラ。だから、買う時はちょっとダメージがある。自分のためにこんなにかけてしまうなんて。と、えもいわれぬ罪悪感。自分の価値を信じきれなければできない、自己投資の側面もあるのでは。

けれど、それと引き換えで手に入るのは、美しき自分だけの心の味方。ジュエリーケースと見紛うような堂々とした存在感。圧倒的な、使い手に対して「あなたは特別ですよ」と投げかけてくれるような使い心地。自分にとって簡単に手に入るものでは得られない、気持ち的なご褒美。そして、それは使うたびに使い手に話しかけてくれる。

「おかえり!今日もメイクをきめて良く頑張ったね。すぐ落としてあげよう」と語るクレンジング。「いっぱい寒い外気にあたって、辛かったね、たっぷり保湿してあげるから」と話す化粧水。「頑張った自分にもちゃんとご褒美をプレゼントしよう」と肌にも気持ちにも効く美容液。この効果が私にとってはデパコスや、自分がいつも当たり前に買えるものよりも、ちょっと背伸びしたら買える、くらいの値幅や存在感になるものの声が一番、大きく感じた。さて、みんなはどうだろう?

自分のメイクアップ・レギュラーに滑り込んだ、実力のあるプチプラアイテムは無敵だ。だって使い心地もいいし、お財布にも優しい。私のドレッサーには数多くのそんな私の心強い味方がいる。でも、効能だけじゃない、自分のマインドが上がるコスメアイテムがあったなら。ちょっとだけ、”心につける”コスメとしての効能をたちまち発揮するかもしれない。

そしてきっとそれは、昨日までの自分よりちょっと素敵な自分になりたいという前向き感、見目麗しいケーキやキラキラ煌めくジュエリーを見る気持ちにも似てる。そこに意味や機能なんてない(実際はあるのだけど、男性的すぎる求め方はない)。自分の気持ちが上がるだけでも、それが最大限の効能なのだから。

だから、賢く使い分けられる人になりたいと思う。自分にとってのプチプラアイテムも、憧れのアイテムも、どっちもわたしの味方。それらを信じて毎日毎日、自分をちょっときれいに近づけていく。でも、自分のきれいが停滞していると感じたならば。いつもより違うランクのコスメは、自分を違う感覚に連れて行ってくれるかもしれないよ。自分の日々の心の高揚感。実は何よりそれが、変えがたい体験でもあったりする、のかも。